名古屋大学
合格おめでとう!

まずは本人の寺子屋体験記から。
『僕が寺子屋に入塾していつの間にか4年が経っていました。寺子屋の授業は様々な生徒に合っていて、どんな生徒でも成績が上がると思うようなものでした。現役の頃はこの授業のおかげで高校ではよく分からなかったことも丁寧な説明や演習で理解できるようになり、理解の基盤を作れるようになりました。
寺子屋に入って一番良かったと思ったのは先生方のサポートのある自習環境が整っていた事です。先生と相談して自分に合ったカリキュラムを作り、志望校に合格するまでの道筋を立てることで無駄のない自習の時間になっていたと思います。また自習室はとても静かで集中するには最適の環境だったと思います。浪人期は僕のために朝から自習室を開けてもらったり、カリキュラムを考えてもらったりなどのサポートがあったことで現役時代に不合格だった大学よりもさらにレベルの高い大学に合格することができました。最後に、この塾で勉強出来て良かったです。4年間ありがとうございました。』
スクール寺子屋で初めて、
浪人生として向き合った生徒でした。
彼の入塾は高校1年生の春。
実はその少し前、保護者の方からご相談をいただいていました。
「どうしても大垣東高校に行かせたいのですが、内申が26しかありません。
入試当日は何点くらい必要で、どんな勉強をすればよいでしょうか。」
高校入試まで残り1ヶ月ほど。
正直、間に合うのかという思いもありましたが、
できる限り丁寧にお答えしました。
そして迎えた入試。
なんとか、大垣東高校に合格。
ただ、その時の彼には、
勉強習慣というものがまったくありませんでした。
テスト勉強会に遅刻しても反省の様子はなく、
中学時代は提出物もほとんど出していなかったと聞いています。
だからこそ、
私は彼に対して他の生徒以上に厳しく接しました。
そんな彼も、高校生活の中で少しずつ変わっていきます。
高校2年生になる頃には、
定期テストで安定してクラス1位を取るまでになりました。
現役時の志望校は名古屋工業大学。
当初は「浪人は絶対にしない」と言っていましたが、
最終的に彼は「志望校以外には行かない」と決断し、
私立大学を一切受験しないという道を選びました。
そして迎えた結果は、不合格。
浪人という選択をせざるを得ない状況になりました。
不合格が決まって約1週間後、
保護者の方から「一度話がしたい」とご連絡をいただきました。
急遽、私と柴田先生、そして本人と保護者の4人での面談。
議題は、「浪人生としても見てもらえないか」というものでした。
本来、スクール寺子屋では浪人生は対象にしていません。
ですが、その時の私は、
これまでにないほど自信を失った彼の表情と、
それでも私たちを信じてくださっている保護者の想いを前に、
深く考えるよりも先に、「分かりました」と答えていました。
こうして、寺子屋としても初めての挑戦が始まりました。
彼に課したのはシンプルな約束です。
月曜日から土曜日まで、9:10〜18:00は自習室で勉強すること。
一緒に立てたカリキュラムを期限内にやり切ること。
必要であれば授業はいつでも受けてよいこと。
目標は、1年分多く努力するのだから、
その分、さらに高い場所へ。
『名古屋大学合格』
ここから、彼との1年間の挑戦が始まりました。
1年間で取り組んだ教材は50冊以上。
ノートは使わず、真っ白なコピー用紙にひたすら書き続ける日々。
時には、精神的な負担も大きくなります。
そんなときは休み時間に呼び出して、
「体育」と称して卓球をしました。
何度も何度も対決したね。
そして迎えた共通テスト。
今年は難易度も高い試験でしたが、
結果は、想像を超える高得点。
共通テスト翌日も、朝9時には自習室に来ていましたが、
目は大きく腫れていました
話を聞くと、自己採点を終えたのは午前4時。
それでも、次の日にはいつも通り勉強に向かう。
その姿に、この1年の積み重ねを感じました。
二次試験に向けた力も十分に備わっており、
結果は、余裕を持っての名古屋大学合格。
あの面談のときに見た、
自信を失ったあの目は、もうありませんでした。
少しだけ生意気で、どこか余裕のある、
あの頃の彼らしい目に戻っていました。
その表情を見たとき、
心から「一緒に挑戦してよかった」と思えました。
彼からは、私自身も多くのことを学ばせてもらいました。
生徒の可能性は、こちらが決めるものではないこと。
環境と覚悟が揃えば、人はここまで変われるということ。
そして、「信じて任せること」の大切さ。
どれも、彼が教えてくれたことです。
自分の意志で選び、努力でつかみ取った合格。
本当におめでとう。