• 大垣市にある高校生専門の学習塾です。

中学三年生の社会の授業で南北朝時代が出てきました。
せっかくの良い機会なので、その前の時代である鎌倉時代の復習をしようと思い、
気づけば話がかなり広がってしまいました。

 

鎌倉幕府については、長い間「源頼朝が征夷大将軍になってから始まった」というのが一般的な説明でした。
しかし近年では、1185年に守護・地頭の設置を朝廷に認められた時点を、幕府の成立とみなす説が有力になっています。

 

つまり、鎌倉時代の人々にとっても、「幕府」という新しい政治の形は、
はっきりとした線引きがないまま生まれていったわけです。
当時の人は、「さあ、今日から鎌倉幕府が始まります!」なんて思っていません。
現代の私たちが振り返って線を引いているだけなのですね。

 

頼朝という人物は非常にカリスマ性があり、
人を惹きつける力を持っていました。
特に東国武士たちから強い支持を受けていました。
当時の武士はまだ全国的に統一された存在ではなく、地域ごとに独自の勢力を持っていました。
その中で、頼朝のもとに多くの武士が集まったのは、まさに彼の圧倒的なリーダーシップがあったからです。
しかしカリスマ政治は、その人物が健在なうちは機能しますが、亡くなった後に仕組みが弱さを露呈することがあります。
頼朝の死後がまさにその例です。

 

頼朝が亡くなった後、二代目の将軍となったのが源頼家です。
ところが、頼家は頼朝ほどの求心力を持てませんでいた。
そのため、政治は「十三人の合議制」へと移行し、
複数の有力者が相談して政治を動かす形になっていきます。
これは「頼朝のカリスマによる統制 → 合議による安定化」という流れが生まれた、と見ることもできます。

 

三代目が源実朝です。実朝は文化的素養が高く、和歌にも秀でた人物でした。後鳥羽上皇とは、和歌のを通じて仲を深めたようです。

 

しかし彼は、鎌倉にある、鶴岡八幡宮で公暁(くぎょう)という親族に暗殺されてしまいます。
これによって源氏将軍家は断絶し、ここから北条氏が実質的な権力者として政治を担う「執権政治」が本格化します。

 

しかし朝廷、つまり京都の天皇家もこの状況を黙って見ていたわけではありません。
鎌倉幕府が力を伸ばし、朝廷の政治的影響力が弱まっていくことに対して、強い危機感を持っていました。
その緊張が高まった結果として起きたのが「承久の乱」です。後鳥羽上皇が幕府を倒そうと挙兵したこの事件は、鎌倉時代の大きな転換点となりました。

 

授業ではこうした流れを説明しながら、私自身も「一度は鶴岡八幡宮に行ってみたいな」と思いました。
歴史の舞台を実際に見ると、教科書の内容がぐっと実感を伴って理解できます。

 

今回は鎌倉時代を深く掘り下げた授業をし、私自身にとっても良い機会になりました。
これからも私自身も勉強を続けていこうと思います。