「現代人が1日に受け取る情報量は、平安時代の人が一生で得られる量に匹敵する」。
そんな記事をチラッと目にしました。
あんまりこの記事に同意できなくて、
よくよく調べてみると、講演や書籍などでよく紹介される鉄板ネタのようですが、
「平安時代の一生分」という数値化がどうやって導き出されたのかは謎で、
確かな根拠はないようです。
とはいえ、感覚的には納得できるところがあります。
私が子どもの頃に比べても、身の回りの情報量は確実に爆発的に増えました。
スマホひとつあれば、思いついた疑問をすぐ検索し、さらに新しい疑問が生まれて・・・の繰り返しで、気づけば時間があっという間に過ぎてしまいます。
ただし、「昔は情報が少なかったから、知識量は少なかった」と簡単に言えません。
例えば、平安時代の人々は天体や潮の流れを読み取り、
船を正確に操って隠岐諸島にたどり着いたといいます。
僕が同じ条件で挑戦しても、果たしてたどり着けるでしょうか。
GPSや地図アプリに頼り切っている僕にはできません。
つまり、情報の「量」では現代が圧倒的に優れていますが、
「質」や「使い方」という点では、
むしろ過去の人々から学ぶべきことが多いのです。
スマホやインターネットから、
毎日たくさんの情報を浴びています。
けれど、そのすべてを受け止める必要はなく、
むしろ、取捨選択しながら「本当に大事な情報」を見極める力が重要だと感じています。
だから、最終的には、自分の頭で考え、選び取ることを意識的に大切にしています。
世の中にあふれた情報から有益なものを取り出すことも重要ですが、
スクール寺子屋は小さな塾だからこそ、一人ひとりと接することで生徒の特性などを理解することを大切にしたいと思っています。
学習塾に求められることは志望校に合格すること、学力を上げることだと思いますが、
それを達成するためには生徒を知ることが重要であるということを信じています。
例えば、同じ問題集を解いていても、
ある生徒は「丁寧に1問ずつ進めるのが得意」、
別の生徒は「スピード重視で全体をざっと見渡すのが得意」という違いがあります。
どちらが良い悪いではなく、
その子の特性に合わせて学習の方法や声かけを変えることで、効果は変わります。
これはネットでは分からないことで、
生徒と実際に顔を合わせ、やり取りする中でしか感じ取れないものです。
情報に振り回されるのではなく、
自分に合った方法を選び取る力。
それはまさに現代に必要な力であり、
平安の昔から変わらない「知恵」でもあると思います。