今日は古典スペシャル。
枕草子の『二月つごもりごろに』と宇治拾遺物語『歌詠みて罪を許さるること』の2本立て。
この2つの話で共通しているのは
昔はいかに和歌に影響力があったということ。
すばらしい和歌を詠むことによって、
VIP待遇を受けたり、罪が許されたりと
今では考えられませんが、
当時の価値観に触れることが出来ます。
教科書にある短歌や入試で出題される短歌は
掛詞や縁語などの修辞技法のオンパレードです。
修辞技法を見抜くテクニックはありますが、
実際、一目見て全て見抜くのは大変です。
実は平安時代でも短歌を作っている人は少なく、
見ても理解できない人はたくさんいたそうです。
特殊な技巧を使ったり、教養がなければ理解できないような歌は、
一部の人にしか理解できなかったようです。
先日、高校1年生に勉強する意味について僕が思うことを、
いろんな例や知人の話を引用してじっくり話しました。
将来の選択肢を狭めないためと。
でも、令和時代でも平安時代でも
ある程度の教養がなければ
その短歌に込められている感情、美意識など
感じることができない。
僕もまだまだですが。
ひょっとすると、勉強する意味は新たな価値観を知ることなのかもしれませんね。