大垣東高校の文化祭に
OBとして行ってきました。
劇やダンスに参加する生徒たちから、
「先生、来て下さい!」
と何人かに声をかけてもらったので、
せっかくならと足を運んできました。
正直なところ、
僕が想像していた以上の
完成度で驚きました。
劇もよく作り込まれており、
何よりダンスが上手い。
令和の高校生は、
こんなに踊れるものなの?
僕自身も大垣東高校の卒業生です。
もちろん高校生だった当時、
僕も文化祭に参加しました。
だからこそ、
自分が高校生だった頃と同じ場所で、
今度は後輩たちが笑って、踊って、
文化祭を思い切り楽しんでいる姿を見ていると、
何とも言えない感慨深さがありました。
そして、そんな生徒たちを眺めながら、
高校生の頃には考えもしなかったことを
ふと思いました。
「そもそも、どうして高校には文化祭があるんだろう?」
授業の時間を使って準備をする。
何日も前から話し合い、
放課後にも残って練習する。
衣装を考えたり、
大道具や小道具を作ったり、
振り付けを覚えたりなどなど。
勉強という尺度だけで考えれば、
文化祭に費やす時間は
決して短いものではありません。
でも、盛り上がっている高校生たちを見ていて、
その意味が少し分かったような気がしました。
大きなことは、
一人ではできません。
誰かがアイデアを出して、
誰かがそれを形にする。
目立つ役をする人もいれば、
人からは見えにくいところで支える人もいる。
意見が合わないこともあるでしょう。
思ったように練習が進まず、
イライラすることもあるでしょう。
それでも最後には、
一人ひとりの小さな力が集まって
一人では到底つくれないものが出来上がる。
そして本番が終わった瞬間、
「みんなで、ここまでつくった」
という実感が残る。
おそらく、それが文化祭という行事の
大きな意味の一つなのでしょう。
テストの点数のように、
数字には残りません。
通知表にも
文化祭を仲間と一緒につくり上げた経験
という項目はありません。
でも、だからといって、
教育として価値がないわけではありません。
むしろ、数字にできないものの中にこそ、
その後の人生を支えてくれるものが
あるのかもしれません。
自分一人ではできないことも
仲間とならできる。
誰かのために自分の役割を果たす。
失敗しながら一つのものをつくり上げる。
そして最後に完成する。
そういう経験から生まれたものは
簡単には消えないように感じます。
これは机の上では
なかなか身につけられないものです。
僕も教育に携わる身になって、
学校というものを以前とは違う視点で
見るようになりました。
そして、学校を知れば知るほど思います。
学校には、
勉強を教えるだけではない、
子どもたちが大人になっていくための仕掛けが
本当にたくさん詰まっているんだなと。
高校生だった頃の僕には、
そんなことは全く分かりませんでした。
卒業してずいぶん時間が経って、
今度は教育する側になって、
母校の文化祭で楽しそうにしている後輩たちを見て、
ようやく少しだけ
文化祭の意味が分かった気がします。
最後に。
「先生、来て下さい!」
と招待してくれた生徒たちへ。
呼んでくれて、ありがとう。
みんなのおかげで、
僕も久しぶりに大垣東高校の生徒に
少しだけ戻れたような気がしました。