立命館大学
合格おめでとう!

まずは本人の寺子屋体験記から。
『僕は一年生から寺子屋でお世話になりました。高校の勉強はどうやって進めればいいか、ちゃんとついていけるだろうかと不安でした。しかし、先生のわかりやすい授業や個別のカリキュラムのおかげで徐々にペースを掴み自分で考えて学習できるようになりました。1番の思い出は、寺子屋の仲間との日常です。休み時間には卓球やダーツで盛り上がり、テスト前のビンゴで大騒ぎして、土日は一日中塾にいたり、平日の朝から来てみたり、遊びも勉強も全力で取り組めました。第一志望には届きませんでしたが、全部やり切ったので後悔はありません。もうこれ以上は頑張れません。そんなふうに思えるのは、この塾だったからだと思います。3年間お世話になりました。ありがとうございました。』
高校1年生の春期講習から、
スクール寺子屋の一員でした。
最初に指導したとき、
正直、高校の授業についていけるだろうかと
少し心配したのを覚えています。
けれど、その心配はすぐに消えました。
彼は持ち前のコツコツとした努力で、
目の前の壁を一つひとつ確実に乗り越えていきました。
おそらく8期生の中でも、
一番質問をしてくれた生徒だったと思います。
質問の内容を見れば、その生徒の理解度はよく分かります。
場合によっては、テストの点数以上に、
本質的な学力が表れることもあります。
最初は基本的な確認が多かった質問も、
いつの間にか、より深く、本質を突くものへと変わっていきました。
その変化を間近で見られたことは、
指導する側としてとても嬉しい時間でした。
高校3年生になると、
平日でも学校に行く前に塾に来て、
朝から1時間ほど勉強していく姿が
当たり前になっていました。
誰に言われたわけでもなく、
自分で決めて、自分でやり続ける。
簡単なようで、これを継続できる人は多くありません。
そんな彼の寺子屋体験記にあった、
「もうこれ以上は頑張れません」という言葉が、
強く心に残っています。
国公立前期試験の合格発表を終え、
後期試験を受けないという決断をしたとき、
彼からのLINEの一文です。
「もうこれ以上は頑張れません」
この言葉は、誰が言うかによって意味が大きく変わります。
まだ余力を残している人が言えば、
それは言い訳や逃げに聞こえてしまうかもしれません。
例えば、
やるべきことをやり切っていない、
苦手なことから目を背けている、
本気で自分を追い込んでいない・・・
そういう状態での「もう無理」は、
本当の限界とは言えないと思います。
でも、彼の場合はまったく意味が違います。
朝から塾に来て、
授業では一切気を抜かず、
分からないことはそのままにせず、
最後の最後まで自分を追い込み続けた。
その積み重ねがあったからこそ出てきた、
あの一言です。
その言葉は、逃げでも弱さでもなく、
やり切った人間だけがたどり着ける境地であり、
彼の3年間すべてが詰まっているように感じました。
彼は決して自分から前に出るタイプではありません。
でも、その穏やかさが自然と周りに人を集めていました。
一緒に卓球をしたときのことも覚えています。
僕はあまり手加減ができないので、
大人げなく本気で勝負していましたが、
一度、本気のスマッシュを打ち返された瞬間がありましたね。
普段あまり感情を表に出さない彼が見せた、あの瞬間。
個人的にはとても嬉しかったのを覚えています。
その時に、きっと彼は、人前では見せなくても、
実は一人の時間では悔しさや葛藤と
何度も向き合ってきているのだろうと感じました。
その積み重ねがあったからこそ、
最後まで戦い抜くことができたのだと思います。
国公立の前期試験のあと、
後期試験を受けないという決断をしたときも、
私はその選択を尊重しました。
一般的には、
「あと1週間あるなら頑張れ」と
言うのが正しいのかもしれません。
でも、彼の場合は違いました。
そこまでに、すべてを出し切っていたのです。
だからこそ、
その決断にも、しっかりとした意味と重みがありました。
そんな彼の3年間を、心から尊敬しています。
大学では一人暮らしをすると聞きました。
きっとこれからも、自分で考え、自分で積み上げ、
しっかりと前に進んでいくのでしょう。
3年間、本当にありがとう。
「この塾だったから頑張れた」
その言葉は本当に嬉しいです。
でも、頑張れたのは、
きっとあなただったからです。
大学生活、思いきり楽しんでください。
またいつでも顔を出しに来てね!